2014年7月18日金曜日

7:18:2014 虹色の龍


虹色の龍



 

今心工房ギャラリーさんより転記させていただきました
http://manai.co.jp/gallery_info/2011/2011_1126.html
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
草場一壽さんの陶彩画展が開かれていたので、観に行きました。


 

先月、龍を見たのですが、どのような存在なのかはわからずおいてありました。
 
白くしなやかな体には淡く虹色に輝く鱗・・・美しい龍でした。

そこで詳しい方に尋ねたところ、草場さんの作品を教えてくださったのです。

ありがとうございます!

まさにこの姿。本当にびっくりしました。

お顔はもう少し、宮崎駿さんの映画に出てきた「ハク」に似た優しい顔でしたが。

 

この陶彩画の横にあった説明には、私が意識していた情報が答えのように書かれていました。
 
いま、空には雲の形をとった龍の姿が毎日のように報告されていますね。いよいよ
 
その時期が来ているのですね。

 

以下、主催者の方にお願いして写させてもらった解説内容です。本来は不可なのですが、
 
今なら大丈夫なのでと特別にいただきました。抜粋です。

草場一壽さま、今心工房の皆さまに心よりお礼を申し上げます。

 

草場一壽さん陶彩画ギャラリー あらゆる作品が掲載されています


 

=================================

 

いにしえより、語り継がれた伝説にいわく。

世の中が混沌し、人々に不和や争い、疑心が生じたとき、7頭の龍たち、天界より集まり、
 
1頭の虹色の龍となりて、地上を平和へと導く・・・と。

 

各地の先住民の間で信仰されてきた、虹色の龍。それは単に人々の夢や空想の産物では
 
なく、未知と神秘の世界がまだ存在していた頃の記憶の結晶ではないでしょうか。人々は
 
虹色の龍を我が目で見、畏怖しながら神と崇めてきたのです。

さらに易経においては「中庸」の表象。天より地のものを見守り、過不足のない調和を
 
もたらすものと考えられてきました。

 

(中略)

 

中国では偉大な霊獣として皇帝の象徴とされ、日本でも水神、海神とされる龍神神話、
 
竜宮伝説は各地に残り、沖縄では首里城こそ竜宮ではなかったかという説もあります。
 
龍は豊饒と復活を表し、万物を構成すると考えられた火地風水の4大元素を司るものと
 
考えられてきました。

 

龍は、太陽神のごとく、人間の無意識の深層にいます。はるかに時代を越えながら、
 
一度とて忘れ去られたことはなかったものの、今では私達の前から、その姿を消し去って
 
しまいました。

未知の領域を征服し、神秘の世界を遠ざけて、文明のもと豊かさをひた求め、その結果、
 
得たものと同様、失ったものも大きいと言わざるをえません。

 

人々が虹色の龍を最後に目的したのはいつのことでしょう。

今や、復活のとき。

平安への道を、虹色の龍に託して。

 

2014年7月16日水曜日

7:16:2014 木星が蟹座から獅子座へ移行します




2013年6月末から木星は蟹座にいました。この時期は「心が本当に心地良く落ちつける居場所」がテーマで、まさに家庭や「居場所」、そして蟹座ですから母なるエネルギー、滋養を与えるマザーのエネルギーに光があてられてきました。文字通り家庭、家のことに取り組むこともあったでしょう。また、本当のソウルの居場所、「ホーム、故郷」の探究に意識が向いていた時期で、内的女性的エネルギーで潜在意識のクリーニングもずいぶん進んだのではないでしょうか。。。蟹座は水の星座ですから。


この拡大・発展を司る木星が、この7月16日にしし座に移行し、約1年間しし座に滞在します。
外に向かう情熱的・精神的な火のエネルギー、堂々と自己表現・創造してゆく時期です。私はこうなんです、と宣言したくなったり、自分を表現、創造することにエネルギーが向いてゆきます。芸術などを通してのソウルの光を表現する活動も活発になると思います!エンターテイメント領域や子供に関するテーマも発展します。

楽しく、ワクワクするかどうかが大事です。これまで自分の奥深くに光を当ててきた人にはより壮大な表現・創造を楽しめることでしょう!自分という存在そのものに自信と確信をもって「太陽のように輝く」のです。。。

今日から明日にかけて、エネルギーが変わるのを感じられると思いますよ!
お楽しみに♪

2014年7月5日土曜日

7:5:2014 人間のピュアコンシャスネスが成し遂げたこと DrunvaloさんのQ&Aより


コロラド・アスペン地区に降った、大量の放射線を含んだ雨。

住民に永久退去命令が出ようというその時、大勢の目の前で放射線数値がどんどん落ちた…

ドランヴァロ・メルキデゼクさんの公開Q&Aで、「何かよい兆しはありませんか」という質問に対し、ドランヴァロさんがとても喜ばしい体験談を話しています。

こちらに抜粋を掲載します。

 

ドランヴァロ・メルキデゼク Q&A エピソード7(抜粋)

Q&A with Drunvalo Melchizedek: Episode 7
https://www.youtube.com/watch?v=v5YgNQTJq6E

20131123日ライブ発信








3800あたりから)

 
2013年8月、コロラドのアスペン地区に福島の影響とされる放射性物質を大量に含んだ雨が降りました。

その汚染度は法的限界をはるかに上回っていたため、3日間降り続いた雨がやんでから政
 府の調査が入りました。あまりにも汚染がひどかったためアスペン地区100平方マイル内
 に住むすべての人が永久退去せねばならない、二度と立ち入ってはならないとの判断が下されました。

 

3日目に雨が止み、土壌7~9インチ(約1823センチ)内の放射線量が測定されました。
現在の地球での唯一の解決法として、アスペン地区100平方マイルの表土を1フット以上
30センチ以上)除去すること、そしてそこに植えてある植物も木もすべての生物を廃
棄するとのことでした。

 

ところが突然、
行政の人々、町の人々、すべての人がいたその場で、放射線量の数値が下がり始めたのです。とても説明のできないことです。
そこにいた人、皆で数値が下がってゆくのを見つめていました。

 

数値はどんどん下がり、通常値まで落ちたのですが、まだ下がってゆきました。
そして、地球上では最低値とされるレベルまで落ちたのです。
とても説明などつきません。

 

行政は現場で、「こんなことは『ピュア・コンシャスネス-純粋なる意識』にしか出来な
 い」と言っていました。 彼らはETがやったのだろうと考えたのです。いま地球上には30万種以上のETカルチャーが存在します。政府はそのうち、56種のETと交流していると前に私に話していました。

 

そこで政府からETに尋ねたところ、彼らはこう言ったそうです。

「私達ではない、あなた達が成し遂げたのだよ」と。

そう、人間がやったんです。

 

アセンションが始まり、人間もこれほどの放射線を減らすことができるようになっている
 んです。
これが真実という証明さえできれば、私達は現実の本質を理解し始めているということで
 す。これがアセンションで、私達はハートから生きて現実を変えてゆくのです。

 

私はこう考えています。

私達は地球を離れるまでにすべてを変えるのです。これは責任というもの。地球はまった
くひどい状態です。私達は戻り、海、空気、土壌、地球のすべてを元に戻さねばなりません。地球を去る前にね。これは私の信念です。
そして、私達はそれに着手しているんです。素晴らしいと思いませんか?

 

現場には科学者もいて調査をしていましたから、実際の放射線量や何が起きたのか、イン
タビューをする予定です。いろいろ質問する予定です。
こんな素晴らしいことは私が地球に来て以来、初めてのことです。

4222

(抜粋終わり)


 

ドランヴァロ・メルキデゼクさんのスクール・オブ・リメンバリングのサイト

2014年7月4日金曜日

7:3:2014 イーグル・キス

イーグル・キスhttp://www.warrencampdesign.com/wcampwebdev/famousEagles/freedomAndJeff.html

2010年の記事ですが、今も広く伝えられています。
鷲の愛、奇跡のような抱擁を感じられる、素晴らしいストーリーです



フリーダムとジェフ
 
僕とフリーダムが出会ってから、この夏で11年。
彼女がやって来た1998年、彼女はまだ赤ちゃん鷲で、両方の翼が折れていた。
手術をしても、左の翼をいっぱいに広げることはできなかった。
4か所も骨折していた。
彼女は、僕の大事な子だ。



フリーダムがやって来た頃、彼女は立ちあがることもできなかった。
左右の翼は折れていた。
ひどく痩せていて、シラミだらけだった。
彼女に生きてほしい。僕達は決めた。
そして獣医に連れていった。


その時から、僕は彼女の傍を離れなかった。
大きな犬用のキャリアの蓋を外して彼女を入れ、
彼女の寝床として
細断した新聞を山のように入れた。


僕はよくそこに座って語りかけたものだ。
生きるんだよ、頑張って、と。
彼女はそこに横たわり、
あの大きな茶色の目で僕を見ていた。
僕達は何週間もの間、チューブで栄養をあげたものだ。


このようにして4~6週間が過ぎた。
それでも彼女は立ち上がることができなかった。


とうとう時が迫ってきた。
あと1週間で彼女が立ちあがることができなければ、
安楽死させると言われた。
ひどい苦痛とリハビリ…
その一線を越したくはないよね。


死という選択が優勢になっていた。
あの金曜日、彼女は安楽死されることになっていた。
僕はその前日、木曜日の午後に会いにゆくことになっていた。


あの木曜日、僕はケアセンターに行きたくなかった。
彼女が安楽死させられるなんて耐えられなかったからだ。
でも、とにかく僕は行った。


部屋に入ると、皆が満面の笑みで待っていた。
僕はすぐさま、彼女のケージの所へ駆け寄った。
 
 
そこで彼女は
自力で立っていた。
なんと立派な、美しい鷲だろう。
彼女は生きる準備ができていた。
もう、僕は泣きそうだった。
最高の日だった。
 

僕達はわかっていた。彼女は飛ぶことはできない。
そこで、グローブに留まる訓練をするようにとセンター長に言われた。


僕は彼女をグローブに慣れさせ、
足緒に慣れさせた。
そして共に、ワシントン西部の学校で教育プログラムを始めた。
僕達は新聞に載り、
ラジオに出て(信じられないだろうけど)、テレビにも出た。
TVの番組「ミラクル・ペット」まで、僕達のことを報じた。


2000年の春、僕は非ホジキンリンパ腫の診断を下された。
ステージ3だった。
けっこう進んでいる。
(主要器官一つを侵され、身体中に広がっている)
それで、僕は8ヶ月間の化学療法を受けることになった。


髪が抜けていった… ごっそりと。
何度も仕事を休んだ。


気分が良くなったら、
Sarvey(センター)に行ってフリーダムを散歩に連れて行ったものだ。



フリーダムはよく夢の中で会いに来てくれた。
そして、ガン闘病を手伝ってくれた。
何度も、何度も。
 

2000年の11月まで話を進めよう。


感謝祭の翌日、僕は最後の検査を受けに行った。
8ヵ月間の化学療法を受けて
もしガンがすっかり消えていなければ、
あとは幹細胞移植をするしかなかった。
とにかく、検査をした。
結果は月曜日だ。
月曜日に行くと、こう言われた。


ガンはすっかり消えているよ、と。
 




そこで僕は何より先に、Sarveyに行った。
あの子を散歩に連れて行くためだ。

霞の立ちこめた、寒い日だった。
彼女の所へ行き、足緒をつけた。
そして僕達は丘の頂上に登った。



僕はフリーダムに、一言も話さなかった。
でも、彼女はわかっていた。



彼女は僕を見つめ、その左右の翼で僕を包みこんだ。
彼女は翼を僕の背中に押しつけていて、それをしっかり感じた。
(僕は鷲の翼にすっかり包みこまれていた。)

そしてくちばしで僕の鼻に触れ、
僕の目をじっと見つめた。



どれくらいの時間、僕達がそうやってそこにいたかはわからない。
魔法の時だった。

彼女がやってきて以来、僕達はソウルメイトだったんだ。
とてもとても、特別な鳥。



ジェフよりひとこと:

リーダムと歩いていると、
病気だという人が僕達に話しかけてくることがあった。
するとフリーダムは彼らに少し触れる。
一度、もう末期だという男性がやって来た時は、
彼にフリーダムを持たせてあげた。
すると彼は崩れ落ちそうになって、
彼女のエネルギーが身体中を駆け巡ったって言っていた。
こんな話はたくさんある。


こんなにも素晴らしい、フリーダムというスピリットの近くにいられるのは
名誉なこと…僕は絶対に忘れない。


どうか、よかったら
この話を他の人と分かち合ってください。
ガンの闘病中の人がいたら、

そうでなくても
スゴイ話を喜んでくれる人がいたら

ぜひ知らせてあげてください!


 
Jeff Guidry and His Eagle Named Freedom